hitonarisan’s diary

主に四柱推命に関する記事をアップしていきます。

執着

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今回は執着について考えたいと思います。

 

前回、東京オリンピック開催の事を書かせていただきましたが、このオリンピック開催に関しては、国民の中でも中止にすべきだという声が多くなってきている様です。

 

今回の森会長の発言でご本人は辞任される方向で調整とのことですが、2019年にはアジア初の開催となるラグビーのワールドカップ日本誘致に尽力され、多くの国民を熱狂させ盛り上げたという事は感謝するべきだとは思います<(_ _)>

 

ただ今回のオリンピック開催は、私自身は流石に厳しいのではないかな~とは感じていますが、さてどうなるのでしょうか?

またこのオリンピックの開催に関して、なぜこれほどまでに執着するのかが本当に気になります。

 

 

どんな人にも執着心はあると思います。

別れた恋人が忘れられず、次の出会いを求めるでもなくいつ迄もくよくよとふさぎ込んでしまう事もあるでしょう。

また大切にしていたアクセサリーなどを失くしてしまい、結局見つからなくていつまでも後悔している方もいらっしゃるでしょう。

 

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まあ多かれ少なかれ誰にでも何かしらの物事に、執着するような出来事はあったと思います。

 

執着とは仏教用語で意味を調べてみると

『ある人や物事に捉われて、そこから離れられない事』

となっております。

 

仏教にこんなお話しがあります。

 

インドの神話で正義の神『阿修羅』という神様が居られました。その阿修羅にはとても美しい娘がいたそうです。

その阿修羅の娘に、武力の神『帝釈天』が一目ぼれをし、その娘を連れ去ってしまいました。

娘を連れ去った帝釈天に対し、父親である阿修羅は激しく怒り、帝釈天に戦いを挑むものの、武力の神である帝釈天には歯が立たず、返り討ちに合います。

しかし怒りが収まらない阿修羅は、何度も何度も戦いを挑みますが、やはり何度やっても帝釈天にはかないません。

しかし連れ去られた当の娘本人は、帝釈天の屋敷で正妻として幸せに暮らしているといいます。

それでも娘が幸せであるという事に阿修羅は考えが及ばず、正義の神である阿修羅はそもそも娘を連れ去ったという行為に対して帝釈天を許せないという事に拘り、現時点で幸せである娘の事よりも、連れ去った行為に対して許せないという執着に捉われた事に問題があったと考えられます。

 

この阿修羅の行動を重く見た重鎮の神々は、阿修羅を争いを好む危険な人物とみなし、修羅界へ追放したと言われています。

 

その修羅界は争いの絶えない世界で、現世で争いを好む人は死後に修羅界へ送られ、常に争いをする世界で修業をする事になると言われています。

 

このように一つの事に対して拘りを持つという事は、良い意味では一つの事に対して真摯に取り組んでいるという事にもなりますが、どちらかといえば悪い意味の方で使われることが多い気がしますね。

 

また過去には東京オリンピック選考でカヌーの代表候補の選手が、ライバルの選手の飲み物に禁止薬物を混入させたことが発覚。

これについては、ライバルを蹴落とす事で自身が選出される可能性が高くなると考えたと思われ、これはやはりオリンピックに選出されたいという執着が生み出した行動なのかもしれません。

 

執着するという事は、その人やその物事に束縛されて身動きが取れない状態になるという事、またその物事にこだわり過ぎた事でとんでもない行動を起こす、など次に進むことが難しくなる、または人生を棒に振る様な行動を起こしてしまう、という事が考えられます。

 

執着を失くすというのは難しい事ではあると思いますが、いつまでも同じ場所で立ち止まっていても、状況は変わらないという事は常に意識しておく必要があると感じますね(>_<)