hitonarisan’s diary

主に四柱推命に関する記事をアップしていきます。

洗脳

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今回は洗脳について考えたいと思います。

 

洗脳といえばあまり良くないイメージを持っていらっしゃる方も多いと思います。

洗脳を辞書で調べてみると、

『強制力を用いて、ある人の思想や主義を根本的に変えさせる事』

とあります。

 

これは権力者たちが支配する下層の人たちを思うように操るために、その人たちの意識を精神的、または肉体的に改革する教育方法と言われています。

元々は第二次世界大戦後に一時期に中国共産党アメリカ人捕虜などに対し、共産主義ではない者達に行っていたという事です。

 

で、その洗脳といわれるものですが、これについては多かれ少なかれ私たち多くの国民は洗脳される要素が、どこにでも転がっていると言えますね(´・ω・)

 

例えば学校教育などは、学校で学ぶものは社会で必要あろうがなかろうが、教育のカリキュラムをこなすために必ず学ばせるもので、この学んだ事が本当に生徒たちのためになっているのかどうかは疑問ではありますが、多様な考え方を持つためやそういった学問に興味を持つ機会を与えるという意味では、必要な事なのかもしれません。

 

また流行りのファッションも、やはり業界がそういった流行を世に出回らせて、流行を作りますし、『今はこういったデザインのものが流行ってますよ』などと店員さんに勧められれば、流行りものに弱い購入者の方は、そういった流行の物を購入しますよね。

 

車なども自動車メーカーが流行する車種など開発していきますし、今はSUVが人気していますが、一時期はワンボックスカー人気が凄まじかったですし、30年くらい前なんて、ソアラやプレリュードといった2ドアクーペの車が大人気でしたもんね(^▽^;)

 

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どちらかと言えばこういったものは洗脳ではないのかもしれませんが、それでも意識としては他者からの考えをその人本人に意識付けられる訳ですから、洗脳までは行かなくてもご自身の考えというのは薄れていき、周りの意見に同意する、自分の意志ではなく他人の意見を正しいと思ってしまう、他人の意見に同調し深く考えずに流されてしまう、というように自分自身で物事を考えずに、思考が停止した様な傾向がみられる場合が多い気がします。

 

こういう意識の方たちはB層というグループに括られるそうですが、こういった○○層といったグループは大きく4つに分けられております。

 

A層 ⇒ IQが高く自分で物事を考えられる人

B層 ⇒ IQが低くテレビやネットなどの情報に影響される人

C層 ⇒ IQが高く構造改革などに反対し、声を上げる人

D層 ⇒ IQが低く構造改革に賛成している人

 

過去に小泉内閣郵政民営化を公約に掲げた時に、このB層をターゲットにしてマスコミを利用した小泉政権は、見事郵政民営化を成功させたという訳です。

 

現状私もあまり物事を深く考えたりしませんし、テレビやネットなどでコメンテーターの方の意見を聞いたり、ネットニュースのコメント欄を拝見して考え方を見聞きしているとそんなものかもな~、というように他者の考えに納得したりして、B層に属している様な気もしますが…。

但し流行に弱かったり、周りに同調したりはしますが、新しく何処何処にオープンしたラーメン店が美味しいと評判だ!という話を聞いても、行列を待ってでも食べたい!と流石にそこまではやりませんね…(^▽^;)

 

まあB層に属していたとしても、周りに迷惑をかけないのであれば良い気もしますが、せめて買った服や車の事を他人様にどこが気に入って買ったの?と聞かれたときには、流行っているからではなく、こういうところが気に入って買ったんだ!という事は言えるようにはしておきたいですよね(*ノωノ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エスカレートする行為

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今回はエスカレートするという事を考えたいと思います。

 

先日ネットニュースを見ていたところ、ショッピングモールで下りのエスカレーター乗り口から、ショッピングカートをわざと落下させる行為が2021年1月に、動画投稿アプリの『TiK ToK』に投稿されたという事があったそうです。

 

映っていたのは10代とみられる男性のグループで、笑いながら店内用のカートをわざと落下させていた姿だったという事です。

 

そのエスカレーターには数人の方が乗っていて、幸いにも接触するようなことは無く、けが人が出なかったのが救いではありますが、この男性たちはどのような気持ちでこういった行動を起こすのでしょうか?

 

一般的な考えを持つ人であれば、

ショッピングカートを落とす ⇒ エスカレーターに乗っている人がいる ⇒ 危ない

⇒ 怪我をするかもしれない ⇒ 場合によっては死んでしまう ⇒ 落とすという行

為には及ばない

となります。

 

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まあ本来であれば、ショッピングカートを落とすという発想すら出てこないのが普通の考えだと思います。

 

そしてこの男性たちがこのような行為に及んだ原因の可能性としては、やはり動画を投稿することで注目を浴びたい、という気持ちが強かったのではないかと考えられます。

 

過去にもバイトテロと言われたように、過激な行為をして企業側に迷惑をかけるような動画を上げた人が多くみられましたが、いまだにエスカレートするような行動をしている人が出てくるというのは、本当に残念ですね"(-""-)"

 

エスカレートを辞書で調べてみますと、

『段階的に増大したり激化したりすること』となっております。

 

どんな人でも調子が良い時期が続くと、調子に乗る様な行動をしたり、他人に対して横柄になったり、言動も大きなことを言ったり、態度も大きくなったりという事はあると思います。

私も競馬で馬券の的中が続くと、『馬券を当てるなんて簡単簡単』!(^^)! なんて気も大きくなってしまいますが、そうやって調子に乗っていると、また不適中の日々が続き『競馬はやっぱり難しい』となりますからね (-_-;)

人は調子に乗り出すと有頂天にもなりますし、落ち込むと沈み込んで重い空気にしてしまうなど、ご自身の気分によって周りをも巻き込んでしまうなんて事もあったりしますからね。

 

中国の故事に

人間万事塞翁が馬ということわざがあります。

これはとある国境の塞付近に住む老人のお話しで、その老人が飼っていた馬が逃げてしまうという出来事が起こりました。

近所の人たちは老人を慰めましたが、その老人は『馬が逃げたからと言ってそれが悪いとは言い切れないぞ』と余り気に留めていませんでした。

 

するとしばらくして、その逃げた馬が戻ってきました。しかも他にもたくさんの仲間を連れて戻ってきたそうです。

近所の人たちは良かった良かったと喜んだそうですが、老人は『これは何か悪い事が起こるかもしれない』と心配したようです。

 

またそれからしばらくすると、老人の息子がその馬に乗っていたところ、馬から落ちて大怪我をしたそうです。

近所の人たちが大変だったね、とお見舞いに行くと老人は『このことが良い事を呼び込むかもしれない』と言ったそうです。

 

それから戦争が起こり、この村も戦争に巻き込まれることになるのですが、老人の息子は怪我をしていた為に戦争に行くのを逃れることが出来た、という事です。

 

このことから、永い人生においては良い事や悪い事は予測できない、良い事が起こってもいつ悪い事が起こらないとも限らない。

だから安易に喜んだり悲しんだりすべきではないよ、という意味になります。

 

エスカレートするというのは、気持ちが増長していく事ですから、今回のショッピングカートの落下させる行為は、この男性たちが動画で注目されたい(のではないかと仮定して)から、普通の人が思いつかないような行為に及んだのだと考えられますが、それにしてもこの行為は流石に信じられませんよね。

 

この動画から警察が調査を始めているそうですので、近いうちに逮捕されることになると思いますが、そのような行動をしたのに逮捕されるかもしれない、こういった行為は犯罪かも知れない、という考えも出来ないほど動画で注目されたかったという事に固執してしまったのでしょうかね~ (+_+)

 

 

 

 

 

 

 

 

執着

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今回は執着について考えたいと思います。

 

前回、東京オリンピック開催の事を書かせていただきましたが、このオリンピック開催に関しては、国民の中でも中止にすべきだという声が多くなってきている様です。

 

今回の森会長の発言でご本人は辞任される方向で調整とのことですが、2019年にはアジア初の開催となるラグビーのワールドカップ日本誘致に尽力され、多くの国民を熱狂させ盛り上げたという事は感謝するべきだとは思います<(_ _)>

 

ただ今回のオリンピック開催は、私自身は流石に厳しいのではないかな~とは感じていますが、さてどうなるのでしょうか?

またこのオリンピックの開催に関して、なぜこれほどまでに執着するのかが本当に気になります。

 

 

どんな人にも執着心はあると思います。

別れた恋人が忘れられず、次の出会いを求めるでもなくいつ迄もくよくよとふさぎ込んでしまう事もあるでしょう。

また大切にしていたアクセサリーなどを失くしてしまい、結局見つからなくていつまでも後悔している方もいらっしゃるでしょう。

 

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まあ多かれ少なかれ誰にでも何かしらの物事に、執着するような出来事はあったと思います。

 

執着とは仏教用語で意味を調べてみると

『ある人や物事に捉われて、そこから離れられない事』

となっております。

 

仏教にこんなお話しがあります。

 

インドの神話で正義の神『阿修羅』という神様が居られました。その阿修羅にはとても美しい娘がいたそうです。

その阿修羅の娘に、武力の神『帝釈天』が一目ぼれをし、その娘を連れ去ってしまいました。

娘を連れ去った帝釈天に対し、父親である阿修羅は激しく怒り、帝釈天に戦いを挑むものの、武力の神である帝釈天には歯が立たず、返り討ちに合います。

しかし怒りが収まらない阿修羅は、何度も何度も戦いを挑みますが、やはり何度やっても帝釈天にはかないません。

しかし連れ去られた当の娘本人は、帝釈天の屋敷で正妻として幸せに暮らしているといいます。

それでも娘が幸せであるという事に阿修羅は考えが及ばず、正義の神である阿修羅はそもそも娘を連れ去ったという行為に対して帝釈天を許せないという事に拘り、現時点で幸せである娘の事よりも、連れ去った行為に対して許せないという執着に捉われた事に問題があったと考えられます。

 

この阿修羅の行動を重く見た重鎮の神々は、阿修羅を争いを好む危険な人物とみなし、修羅界へ追放したと言われています。

 

その修羅界は争いの絶えない世界で、現世で争いを好む人は死後に修羅界へ送られ、常に争いをする世界で修業をする事になると言われています。

 

このように一つの事に対して拘りを持つという事は、良い意味では一つの事に対して真摯に取り組んでいるという事にもなりますが、どちらかといえば悪い意味の方で使われることが多い気がしますね。

 

また過去には東京オリンピック選考でカヌーの代表候補の選手が、ライバルの選手の飲み物に禁止薬物を混入させたことが発覚。

これについては、ライバルを蹴落とす事で自身が選出される可能性が高くなると考えたと思われ、これはやはりオリンピックに選出されたいという執着が生み出した行動なのかもしれません。

 

執着するという事は、その人やその物事に束縛されて身動きが取れない状態になるという事、またその物事にこだわり過ぎた事でとんでもない行動を起こす、など次に進むことが難しくなる、または人生を棒に振る様な行動を起こしてしまう、という事が考えられます。

 

執着を失くすというのは難しい事ではあると思いますが、いつまでも同じ場所で立ち止まっていても、状況は変わらないという事は常に意識しておく必要があると感じますね(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京オリンピック開催について

ご訪問いただきありがとうございます。

 

東京オリンピックパラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗さんが、『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります』などとの発言をし、女性に対しての批判ともとれる発言をして謝罪会見を行いましたが、その謝罪の姿勢が横柄に見えるという事で、更に多くの人から批判が上がっております。

 

森喜朗さんといえば、首相の頃から数々の失言で有名ですが、そもそもこの東京オリンピックの開催に関しては、誘致が決まった当初から色々な問題が発生しており、こんなに色々な問題が起こる様では開催自体に不安があったと思うのですが、ここに来て本当に開催が危ぶまれてきた気がしますね。

 

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東京オリンピックの開催に向けた最初の問題ですが、

新国立競技場のデザイン案が、1度は女性建築家のザハ・ハディドさんのデザインに決定したものの、建設費が2520億円と膨らんだことによる批判を避けるため、一旦計画を白紙。再度計画を立て直し新たに大成建設と梓設計、建築家の隈研吾氏による共同プロジェクトで作成されたデザイン案で進められました。

 

次に問題となったのは、オリンピックエンブレムですが、こちらはアートディレクターの佐野研二郎氏のデザインが採用されたものの、この作品が盗用されたという疑惑が浮上したため、こちらも一旦採用を白紙に戻すという事態となりました。

その後、アーティストの野老朝雄氏のデザインが選ばれることになりましたが、前回のエンブレム発表から9か月遅れての決定となっています。

 

そこから更に問題は続きます。

招致委員会の理事長だったJOC前会長の竹田恒和氏の贈賄疑惑です。日本の招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)委員だったラミン・ディアク国際陸上競技連盟(IAAF)前会長の息子に2800万シンガポールドル日本円にして約2億2000万円支払ったとされる疑惑が浮上しました。

この件に関して竹田恒和氏は招致の汚職疑惑を否定しているものの、最終的には退任を表明しています。

 

次の問題がIOCラソン競歩の開催地を東京から札幌に変更になったことです。

これはカタールで開催された陸上の世界選手権で、暑さの厳しい状況の中棄権する選手が続出したため、東京での暑さを危険視したためですが、この決定に東京都の小池百合子知事が『合意なき決定』と強く批判をしましたね。

 

そして最後はコロナによる開催の延期

 

ここまで問題が発生したオリンピックって過去にあったのですかね?

 

森喜朗会長は、首相時代に『日本は神の国』発言をして批判を浴びましたが、この神の国日本で、なぜこれほどまでに開催に待ったをかけるような出来事ばかり起こるのか?森喜朗会長に

『日本の神様はオリンピック開催をどのように考えていると思いますか?』と質問してみたいですね (;´・ω・)

 

 

 

 

 

 

 

理想の上司

ご訪問いただきありがとうございます。

 

先日会社の同僚の人と話をしていて、その同僚の方から

『有名人で理想とする上司の人っていますか?』

と聞かれたのですが、それまであまりそういった事を考えたことが無かったので、その場ではその同僚の方に返答することが出来なかったのですが、その後で自分なりに考えてみたところ、そういえば以前からその方の番組を観るのが好きだったり、考え方や言動が結構自分と似ているなあ、と思う人が1人思い当たりました。

私はその方のような上司が理想とする上司だとその時に実感しましたね。

 

その方はタモリさん』です。

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私の中でのタモリさんのイメージは、どんなジャンルの人にでも話を合わせられる位の知識があり、かといってその知識を周りに自慢するわけでもなく、淡々とした話し方で特に喜怒哀楽を表面に出さない(出していたとしてもそれは周りに合わせているだけのように思える)ところも魅力的ですね (^^♪

 

そのタモリさんと私の感覚が似ているところがあるなぁと感じていたので、タモリさんの命式を調べたところ、生まれ時間が判らないので確実にそうだとは言い切れないのですが、タモリさんの日干が私と同じ『癸』でした。

タモリさんと私は比べることが失礼に値するほど、実績や功績など何もかもが違いすぎますが、考え方の感覚は同じ癸なのでやっぱり似ているのかなあ、と思ってしまいますね。

 

日干癸の人は冷静に物事を判断するところがあり、大勢でいてもその群れから一歩離れたところで全体を観る傾向があります。

一緒に騒ぐのではなく、その場の状況を冷静に判断する、今の状況を見極めて次にどのような危険が出てきそうなのかをキャッチする、という危機管理能力に長けている方が多いように感じます。

 

私自身はタモリさんのような豊富な知識がある訳でなく、かといって他人様を楽しませれるだけのセンスもありませんし、タモリさんのように周りの人に変なプレッシャーも掛けず、冷静に周りの状況を判断するような事は出来ませんので、タモリさんの様な上司になるのは到底無理だと思いますが、タモリさんのような上司を目指したいという気持ちは日々持ち続けていきたいと思っています。

 

因みに20代の息子に理想の上司は誰?と聞いたら、俺は『ローランド』やな、と言っておりました(^▽^;)

 

考え方の癖

今回は考え方の癖について考えたいと思います。

 

先日youtubeを観ていたのですが、ザ・クロマニヨンズ(元ザ・ブルーハーツ)の甲本ヒロトさんの名言集というのがあり、そちらを閲覧していました。

 

その中で

『楽しいと楽は違う、楽しいと楽は対極、楽しい事がしたいんだったら楽はしちゃダメ』

という言葉がありましたが、これは良い言葉ですね。

 

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人ってついつい怠けてしまう癖がありますので、やろうと思って始めたことでも続けていると疎かになる事はありますし、私などはその典型で怠けることが非常に多いので、ついつい楽な方向に行くように自分を甘やかせてしまいますね(>_<)

 

またこの考え方で視点を変えてみると、実は『自分が楽しいと思った事をしている時は心が楽になる』という風に考えることも出来るんじゃあないかな?とも思ったりします。

 

四柱推命では命式内にある八字でその人の考え方や癖などを推察するのですが、元々持っている八字内にある干支、通変星で考えや思考が生み出されてくるものだと私は考えています。

 

ですので、その人の心の中から出てくる考えや思考は、他人から辛そうとか可哀そうに見えたとしても、その人にとっては実は楽しい事だったりする可能性もあると思うんです。

つまり自分自身の中から出てくる考え方や思考をそのまま行動に起こすことは意外と楽な事なのではないかなと思うんですよね。

 

ただ現代社会ではどうしても人との繋がりがありますので、自分自身の考えだけで行動を起こしてしまうと、他人から批判をされたり、陰口を言われたりする、などが起こりえますので、ある程度の節度は必要な気がしますが、それでもそのような誹謗中傷など気にせずに我が道を行く行動が出来れば、それはそれですごい事だとは思いますが…。

 

でももしそういった行動をする人がどうしても許せない場合は、そういう人とは関わらないことが最善の策だと思いますね。

 

とはいえ会社や学校などで、どうしてもそういう人と関わらなければならない場合もありますので、そこをどのように接するのかが課題になりますよね~"(-""-)"

 

 

 

魂について

前回は脳死について、という事を上げさせていただきましたが、今回は魂について考えていきたいと思います。

 

少し調べてみたのですが、脳死というのは脳幹を含む脳全体が機能せず、自分自身で呼吸も出来ないため、人工呼吸器を付けなければ延命が出来ない状態なのだそうです。

しかし植物状態というのは大脳は機能していなくとも、脳幹が働いており自分自身で呼吸も出来るので、回復することもあるのだそうです。

 

因みに義父は所謂脳死といわれるもので、自分で呼吸をすることが出来ないため、人工呼吸器で延命を行っている状態です。

 

そこで少し疑問に思うのは、人間にもし魂というものが本当に存在しているのなら、その魂は脳死になった場合にどうなるのだろうか?という事です。

 

 あるスピリチュアル系のサイトから抜粋しますが、脳死といえども魂はまだ身体と繋がっているそうで、身体が生きている間は魂は色々な事を考えているらしいです。

 

・脳の機能が停止しても、死ぬわけではない

・医学的に心は脳の中で作られる。スピリチュアル的には心は魂の中にある

・脳が機能を停止し脳死状態になっても、魂の中の心はいつも通り動いている

・肉体が生きていれば、魂は色々な事を考えている

・死とは魂と肉体の結合が離れたこと

 

大体このような考え方のようです。

 

スピリチュアル的にはこの世に生まれてきたのは、魂の修行のためだとも言われていますが、そのように考えると脳死と診断された方は、表面的には言葉も発せず表情を変えることも無く、身体で表現することも出来ないので、接する人たちから見れば可哀そうに見えるかもしれませんが、本人は私たちの見えないところで魂の修行を続けてるのかもしれません。

 

義父は植物状態ではなく脳死という事なので、今後も意識が戻ることはまずないとは思いますし、生きているときはまあ頑固な人で他人の意見は全く聞かず、特に家族にはわがまま放題のところもあったので、こうなってしまったのは今まで家族に対しての感謝の気持ちが無かった(本当は感謝していたのかもしれませんが、そのように見えなかった)ことで、死を迎える前に家族(特に義母に対して)感謝することを神様が与えてくれたのかもしれないですね。

 

また脳死状態では魂と身体がまだ繋がれていて、魂が身体と離れられずに苦しむという事を言われる方もおられます。

 

私は死という体験をしたことがありませんので、何が正しい事なのかは解らないですが義父には魂が苦しむことなく、平穏な最期を迎えることを望みます。